これはニュシュレフトのドゥーマー自由植民地保有への歴史的意義のある出来事の年代記である。本文はおそらく良敵によって記録され、アルドメリスで書かれた。




23: 王イフレンダムの死


 第2種まき期(P.D.1220年)に、西の高台に向かう王イフレンダムはニュシュレフトに辿り着いた。護衛アンチャードとルクングトハンチ将軍はそこで王に会い、ダレン・ザンクもまたその会合に集った。
 彼らは長い間話した。しかしこの会合に関しては、彼らが互いに友達だったという事柄のみ知られている。その後、彼らは別れそれぞれの地へ戻った。

 ブルットハンチと彼の息子はこの会合のことを耳にし、この極秘の会合で議会に対する反逆計画が話し合われたと知った--議会はしばしば自分たちだけで話を進めた。春になり、議会はいつものようにバムズ・アムシェンドの広間で理事会が開かれることが告知された。人々はそれに合わせて集まり、酒と歌を楽しみ、景気よく酒を飲んで酒の席ではあらゆることが話された。特に、異なるドゥーマーや、ついには議員たちの比較にまで話は膨らんだ。

 誰かが王イフレンダムは仲間の議会の者よりもあらゆる点ではるかに優れていると言った。ブルットハンチ議員は激怒し、自分が王イフレンダムより劣るわけがないと言ってそれを証明しようとした。すぐに2人はカッとなって、お互い戦いを申し入れ武器へと駆け寄った。しかし酔っ払っていなかったこともあり、よく心得ている市民たちが2人の間に入り、静めた。そしてそれぞれの地へ戻ったが、2人が仲直りするとは誰も思っていなかった。

 しかしその後、秋になると王イフレンダムはブルットハンチ議員から便りを受けた。ヘンドル・スタードゥムズでの賭けに招待するものだった。イフレンダムの一族や市民は不信を恐れて猛烈に反対したが、王イフレンダムは議会にも常に同行する衛兵の言うことさえも耳を貸さなかった。残念なことにヘンドル・スタードゥムズへ向かう途中、チンジンヒ峠でおびただしい数の恐ろしい生物が王イフレンダムを襲い、王の一行は全滅した。それ以来多くの市民がブルットハンチとその息子がこの野獣を呼び出して王イフレンダムを襲わせたのだと言ったが、証拠は何もなかった。王イフレンダムはレフトゥンチと呼ばれる場所に埋葬された。