(7巻)
第一紀 最後の年
ウェイレスト、アカトシュ礼拝堂大司祭
アレクサンドレ・サイモン 著
私は、アカトシュ礼拝堂の司祭として自分の人生を偉大なるドラゴンに奉仕するために捧げてきた。彼は始まりの始まり。全ての神々の中で最も強く、最も偉大。彼こそが無限の体現者なのだ。
言うまでもなく、私は確固たる深い信仰を持った男である。だが、それは盲目的な信仰ではない。なぜなら、私は学問の心得を持ち、教育やあらゆることに対する真実の追求は重要なことであると思い続けているからだ。そういった訳で、この人生をかけて我々が敬愛する神々の化身、アカトシュの真実を探る栄誉と機会を授かった訳である。
文明社会(ここでは帝国だけではなく、学問と文字という美徳を有しているニルン全土に存在する国々全てを指す)の至るところで偉大なドラゴンは崇拝されている。通常、最も位の高い神はアカトシュと呼ばれている。しかし、同様に彼を指す呼び方があと2つあることを知らない者もいるかもしれない。
アルドメールはアカトシュをオリエルと呼ぶ。そして、ノルドはアルドゥインと呼んでいる。これらの名前は特定の古代文献に度々出てくるが、この問題となっている神がアカトシュと我々が呼んでいる者と同一であることは明らかである。
しかしながら、この文明が進んだ現代でもこれが真実ではないと信じている者がいる。アカトシュの説明が地域によっては全然違う物になっているのだ。それどころか、共通点があるんだかないんだか分からないような神々やまったく別の神々の説明となっていると言った方が良いかもしれない。
サマーセット島に住むアルトマーの多くは万象のアヌの魂が生まれ変わったアヌイ=エルの魂を持つオリエルを崇拝している。しかしハイエルフに尋ねてみると(調査を続けるためにサマーセット島を訪れた時に私も実際してみたのだが)、その大多数はオリエルが自分たちの文化的信条で脚色され、別の名がつけられたアカトシュだということを認めるだろう。
こうなってくると、本当の神学衝突が優れた戦闘の手腕を持ち発揮し、勇敢さと頑強さを併せ持ち、その頑固さで有名なスカイリムに住むノルドの間で起こっていることは驚きではないかもしれない。私が荒涼とした白い大地を旅した時、アカトシュに関しての見方がアルトマーとほぼ真逆だということに驚かされた。ノルドの多くは伝説のアルドゥインはアカトシュではなく、全く別の神であると信じているようだった。すごいドラゴンではあるが”偉大なるドラゴン”ではないと。
問題の核心に迫ろうと決意し、私は何人かのノルドと話し合った。彼らに尊敬されている血まみれのビョルンという名の年老いた族長もその1人だ。ここで驚いたのはアカトシュの代わりにアルドゥインを信じているということではなく、アカトシュがアルドゥインよりも格下であることを認めていることだった。スカイリムにいる子供たちのほとんどは私と同じ見方でアカトシュを認識しているようだった--彼は確かに偉大なドラゴンだと。神々の中で1番で、堅忍の象徴、そして何よりこの世に存在する至上善の力だと。
彼らが言うには、アルドゥインは全くの別物なのだ。
彼が本当に神なのかどうかは疑問として残るが、ノルドの民間伝承に登場するアルドゥインは本物のドラゴンである。かなり年を取っていて、力強く、”ワールド・イーター”と呼ばれていただけでなく、自分の力を維持するために死者の魂を貪り食っていたと伝える物もある。他の物語はドラゴンの王として振舞うアルドゥインが他のドラゴンをまとめあげて人間と争うが、最後には1人、もしくは何人かの英雄の手によって倒されるという話だった。
これらの伝説に説得力があることを否定するのは難しい。だが、大司祭兼学者として最も重要な問題を尋ねなければなるまい--証拠は?
スカイリムのノルドは言い伝えを高く評価しているが、それこそが信頼できない最たる理由である。ウェイレスト市場で広まる噂はたったの数時間で劇的に内容が変わってしまい、一日が終わる頃には街に住む住民の半分以上が数え切れないほどのスキャンダルに巻き込まれているように伝わってしまう。だとすれば、何百年、または何千年もの間、口頭だけで伝えられた伝承を教養と見識ある人間が信じるなんてことができるだろうか?
この質問に対する答えはシンプルだ
--できない。
そうした訳で、私はノルドの伝承に伝わっているアルドゥインは、何世紀にも渡って伝えられている内に改編されたり尾ひれなどがついたりして、事実が捻じ曲げられてしまった勇敢なアカトシュであるという結論に達した。誰を責められる話ではないが、スカイリムに住んでいた原始の人々は偉大なドラゴンの素晴らしさや偉大さを理解できなかったのだろう。そしてこれが理解の欠如が、皮肉にも彼らの驚くべき想像物--おとぎ話の中の幻、そして古代の人々を正当化する、ワールド・イーターこと”アルドゥイン”を作り出したのである(もし空想上の物であればの話だが)。