ソリチュードのカロライン 著
九大神の騎士の存在は今ではほとんど忘れられているが、当時、その名はシロディール中に-- というよりも、帝国中に知れ渡っていた。セプティム帝国では初期のある短い期間、全ての人々が彼らの冒険談に夢中になった。しかし、彼らの名声は、他の多くの有名人の噂話とともにレッド・ダイヤモンド戦争の混乱の中で人々に忘れられ、今では彼らの修道院がどこにあったのかすら誰にもわからない。
九大神の騎士は、第三紀111年、アイル戦争で英雄的な活躍を見せたアミエル・ラナス卿によって結成された。その目的は、何千年ものあいだ失われていた、伝説の聖戦士ペリナル・ホワイトストレークの武器や防具などの聖遺物を探し出し、取り戻すことであった。彼らは第三紀初期の自信と野望に満ちた風潮の申し子であった。タムリエルが統一され、人々が何世紀ぶりかの平和を謳歌していたあの時代、不可能なことなど何一つなかったのである。
アミエル卿が騎士たちを率いてエリングレンのワイアームを倒し、第一紀から行方不明だった聖戦士の銅鎧を持ち帰ると、結成まもない九大神の騎士の名声は一挙に広まった。すぐに、その当時の偉大な騎士たちが九大神の騎士に加わろうとやってくるようになり、シロディールのウェストウィルドにあった九大神修道院は高潔で善良な者を磁石のように引きつける場所となった。九大神の騎士は国中の賞賛の的であった。コロヴィアの名門貴族の御曹司ベリック・ヴリンドレル卿が加わる頃には、九大神の騎士は帝都で最も栄光ある騎士団になっていた。その後比較的短い期間に九大神の騎士はさらに3つの聖遺物を発見し、その度に彼らの名声はより高くなっていった。誰もが、最終的に彼らが8つの聖遺物全てを取り戻すだろうと信じて疑わなかった。
しかし悲しいことに、彼らの当初の信念は第三紀121年に始まったレッド・ダイヤモンド戦争による帝国の分断と荒廃の中で途切れてしまった。当初、アミエル卿は騎士たちを戦争に参加させないつもりであったが、彼らの名声がそれを許さなかった。多くの騎士たちが帝国の名門家庭の出身であり、どの家もこの血なまぐさい内戦でどちらかの側について戦っていたのである。ベリック卿が最初の離脱者であった。彼はセフォラスの側について戦うため、聖遺物である剣とグリーヴを身に付けて戦場に向かった。他の多くの騎士たちもまた、その後まもなく九大神の騎士を離れ、敵味方となって戦った。
九大神の騎士の最後は、その初期の栄光に比べてひどく不名誉なものとなった。第三紀127年、セフォラスの勝利で戦争が終結すると、ベリック・ヴリンドレルは勝軍の功労者として重要な位置につくこととなった。第三紀131年に帝国が発令した九大神の騎士の解散布告の背景には、ベリック卿の圧力があったと見られている。この布告はほとんど形式だけのものであったが、アミエル卿の尽力にもかかわらず九大神の騎士が再結成されることはなかった。
九大神の騎士によって取り戻された聖遺物はどうなったのだろうか?聖戦士の剣とグリーヴはベリック卿が持ち去ったが、それらが今どこにあるのかはわかっていない。聖戦士の篭手は、コロールのステンダール聖堂の床に安置されている。第三紀139年、カシミール卿が不名誉な死を迎えた際そこに残したまま動かされていないのである。聖戦士の銅鎧の所在は不明である。アミエル卿は第三紀150年に九大神修道院に一人で住んでいたところを通りがかりの旅人に目撃されているが、それ以降の彼の運命と銅鎧の行方は歴史の謎となってしまった。このようにして、九大神の騎士は歴史の彼方へ消え去ってしまったのである。