ウォーヒン・ジャース 著
デクマス・スコッティは、座ってリデオス・ジュラス(原文ママ)の話を聞くことにした。だが、いまこの眼前の太った男が、かつてのアトリウス建設会社の同僚であるとは信じられなかった。辺りには、スコッティがさっきまで食べていたロースト肉の、香辛料の匂いが立ち込めている。この広いプリサラホールの中の周囲の物音はすっかり消え失せていて、まるでジュラス1人しかいないようである。彼は自分がこれほど感受性豊かであることに驚いてしまったが、実際のところ、霜降月初旬に下手な手紙で帝都から彼を導いてくれた男を前に、潮が満ちていくような感慨を味わっていた。
「どこにいたんだ?」と、ジュラスは詰め寄った。「何週間か前には、ファリネスティで俺と落ちあうはずだったろ?」
「もちろん、そこに行ったさ」あまりの剣幕に驚いて、スコッティはどもりながら返した。「そこで『アセイヤーに行け』っていう君のメモを見て、そこに行ったんだが、カジートが焼き払ってたんだ。それで、避難民達と別の村へ行くことになって。その村で、君がもう殺されたって聞いたんだけど?」
「お前、そんなこと信じてたのか?」と、ジュラスがせせら笑った。
「それを教えてくれた人は、君のことをよく知ってたから。レグリウスっていうヴァネック建設委員会の人で、彼も私と同じように戦争の後のヴァレンウッドの仕事を手伝うよう誘われたと言っていたよ」
「ああ、そうだったな」とちょっと考え込んでから、ジュラスは言った。「たった今、その名前を思い出したよ。この商売、きっと上手くいくぜ。何たって、帝国を代表する建設委員会の2人が、工事の入札の手筈を調えるのを手伝ってくれるんだからな」
「レグリウスさんは死んだよ」と、スコッティは言った。「でも、ヴァネック建設委員会の契約書は持って来たけど」
「おお、上出来だ!」と、ジュラスは感嘆の声を上げた。「ふん、お前がそこまで無慈悲になれる奴だったとはなぁ、スコッティ。まあ、これでシルヴェナールでの仕事もやり易くなったな。バスの紹介はまだだったな?」
スコッティはジュラスの隣にいる、ジュラスと同じ位の胴回りを持つボズマーの存在にはぼんやりとしか気付いていなかった。スコッティはバスにそっけなく目礼をしたが、まだどこかうわの空の気持であった。彼の頭には、シロディールへ安全に帰れるように、できるだけ早くシルヴェナールへ嘆願する、ということしかなかった。その後ジュラスと、ヴァレンウッドとエルスウェーアやサマーセット島との戦争からどうやって稼いでやろうか算段している時も、どこか他人事みたいに思えてならなかった。
「俺とあんたの同僚は、いまシルヴェナールについて話しているんだぜ?」と、今までかじっていた羊の脚を置きながら、バスは言った。「ちゃんと話を聞いてないようだが」
「少しぼんやりしていました。シルヴェナールというのは、とりわけすごい人なんですね」
「彼は民衆の代表なんだよ、法律的にも物理的にも精神的にも」と、新しい相棒の常識の無さに苛々しながら、ジュラスが説明してくれた。「ここの連中が健康なのも、ほとんど女ばっかりなのも、彼のおかげだ。もしも庶民が、食べ物や商売や外国からの邪魔に不平を漏らしたら、彼は連中と同じ気持になってその不平を避ける法律を作るのさ。つまり、彼は独裁者なのさ。ただし、民衆のためのだ」
「それは・・・」スコッティは適当な言葉を探し出した。「戯言だね」
「そうかもしれない」バスは肩をすくめてみせた。「だが、彼は『民衆の声』という多大な権限を持ってる。その中には、外国の会社による建設許可や契約交換を認可する権利も、もちろん含まれている。信じてくれなくても構わんが。シルヴェナールをお前の所の頭のイカれた皇帝、例えばペラギウスみたいなもんだと考えてみてくれ。今現在、このヴァレンウッドは四方八方から攻撃されてかなり参ってる。シルヴェナールも、よそものに対してはすっかり不信と恐怖を抱いてる。たった一つの民衆の望み-- つまりは、シルヴェナールの望みでもあるが-- は、帝国が介入してこの戦争を終わらせることだ」
「皇帝が?」と、スコッティが尋ねた。
「あのイカれた皇帝に期待するのは無理かも知れんが」と言いながら、ジュラスはレグリウスの鞄から、空白の契約書を取り出した。「実際、あいつがどうするかなんて誰にも分からん。それより、レグリウス様のおかげで、随分と仕事がスムーズに行きそうだ」
彼らは、シルヴェナールと会うとき、どうやって自己紹介するかについて夜まで話し合った。スコッティは食事をつづけていたが、残りの2人ほどの量ではなかった。太陽が丘に登り始め、光が水晶の壁を通して3人を赤々と照らした。ジュラスとバスは、シルヴェナールに会いに行く代わりに、自分たちの部屋へ戻っていった。スコッティは、自分の部屋に戻ってジュラスの計画に穴が無いかどうか考えを巡らせていたが、冷たく柔らかいベッドに抱かれて、すぐに深い眠りへと落ちてしまった。
次の日の午後にスコッティは目覚め、体の調子が良いのを感じた。言い換えると、おびえてもいた。考えてみれば、この数週間、ずっと生死をさまよっていたようなものだった。極限の疲労を味わったり、ジャングルで獣に襲われたり、飢えてげっそり痩せ細ったり、おまけに、アルドメリの詩作についての議論に巻き込まれたりしたのだ。それに、ジュラス達との、どうやってシルヴェナールを騙くらかして彼の署名入りの完全に合法な契約書をこしらえるか、という討論もあった。そんなことを考えながら着古しの服に着替えると、食べ物とゆっくり考え事ができる場所を求めて階段を下りた。
「起きたか」というバスの声がスコッティの頭上から降って来た。「今から宮殿に行くぞ」
「今から?」と、スコッティは愚痴をこぼした。「見て下さいよ、この格好。今から女を買いに行くのとはわけが違うんですよ。『ヴァレンウッドの民衆の声』とやらは、あなたが独りで届けてきて下さい。風呂にも入ってないんです」
「いいか、この瞬間から、お前は事務員じゃなくて商人見習いだ」スコッティを燦々と陽が差す大通りに引っ張って来て、ジュラスが勿体ぶって宣言した。「まずやらなくちゃいけないことは、将来有望な顧客に何を示し、どういうやり方がしっくりいくかを考えることだ。大体、豪勢な衣装やプロの立ち居振る舞いなんかじゃ、お前はシルヴェナールの旦那を騙せないんだよ。そんな風にやろうとしたころで(原文ママ)、失敗するのは火を見るより明らかなのさ。ここは俺に任しとけ。俺やバスも含めて何人かが宮廷に行ってみたが、何かしらヘマをしちまったもんだよ。がっついたり、格式張ったり、商売の話しばかりしようとしたり、な。それで、もう二度とシルヴェナールと会えなくなっちまったわけだ。だが、俺達は今でも居残っている。その後、宮廷についてぼんやりと考えてみたり、帝都の情報を仕入れてみたり、ピアスを開けてもらったり、ぶらぶら散歩したり、がつがつ飲み食いしてた。あえて言うなら、1ポンドか2ポンドは太ったな。さて、俺達がシルヴェナールの旦那に伝えるべきメッセージは簡潔にして明瞭だ。『私たちにとってではなく、彼にとってとても興味深い面会になるでしょう』だ」
「計画は始まった」と、バスが付け加えた。「大臣に『我々帝国の代表者が到着しました、朝のうちにシルヴェナール様にお会いしたいので、すぐにでも連れて参ります』と伝えておいたよ」
「遅刻してるじゃないか?」と、スコッティは聞いた。
「ああ、大幅にね」とジュラスは笑みで返した。「しかし、それも計画の内さ。慈悲深く、私利私欲を見せずだ。シルヴェナールを、世襲貴族と間違えちゃいけないぜ。奴は、庶民の心の拠り所なんだよ。どうやって彼を丸めこんだらいいか、お前も分かるだろう?」
それから数分間、ジュラスは、ヴァレンウッドについて何がどれだけ足りないか、それにはいくらの金がかかるかについてという講釈を話しながら歩いた。その額は莫大なもので、規模も費用も、スコッティが今まで扱ったものよりも遥かに大きなものであった。スコッティはそれを注意深く聞いた。彼らの周り、シルヴェナールの街は、ガラスや花々、風のうなり声や心地よい気だるさを鮮明に感じさせた。宮殿に着くと、スコッティは立ち止まりあぜんとした。ジュラスはそんな彼を見つめ、笑った。
「変わってるだろ?」
その言葉の通りだった。緋色の爆発をそのまま凍らせたような、ねじれて不均衡な尖塔が太陽を付き刺さんとばかりに伸びている。小さな村ほどもある庭園には、廷臣や召使い達が、たくさんの昆虫のように、互いの体液を吸う勢いで歩き回っている。花びらのような橋を渡って、3人は不安定な壁に覆われた宮殿の中を歩いて行った。細かく区切られた区画があり、それぞれは日陰の集会所や小さな部屋であるらしい。何度か道を曲がって行くと、一行は壁に囲まれた中庭に到着した。そこにはドアはなく、どうやら宮殿をぐるりと巡るらせん階段の他にシルヴェナールの所に行く方法はないようだった。つまり、会議室や寝室や食堂を通り抜け、高僧や王妃や宮廷楽団員や、それに大勢の衛兵の側を通って行くのだ。
「実に愉快なところだ」と、バスが言った。「だが、いささかプライバシーに欠けてるな。まあ、そこがシルヴェナールには好都合なんだろう」
宮殿に入ってから2時間後、廊下を歩いていた一行は、剣や弓をちらつかせる衛兵達に呼び止められた。
「私達は、シルヴェナール陛下との謁見を望む者達です」ジュラスは、辛抱強く言葉を運んだ。「こちらは、デクマス・スコッティ氏、帝国の代表です」
一人の衛兵が廊下を曲がって姿を消すと、背丈の高い、革を縫い合わせたローブを着込んだ高貴そうなボズマーを1人連れて来た。シルヴェナールの経済相である。「陛下は、デクマス・スコッティ氏、彼1人との謁見を御所望でいらっしゃる」
とやかく言ったり不安の色を見せたりしている場合では無かった。スコッティは、残る2人の方も見ずに歩を進めた。大体、彼らに泣きついたところで、無関心を装われるに決まっているのだ。大臣の後をついて行って謁見室に通された彼は、この謁見で重要なことを全て暗誦すると、ジュラスの立てた計画を心に思い描いた。
シルヴェナールの謁見室は、壁が天井に向かって次第に内側へ反っていき、緩やかなドーム形をしていた。何百フィートもの高さから、陽光が天井の隙間を縫って、銀色に輝く綿の上に立つシルヴェナールに降り注いでいた。この街や宮殿に比べ、シルヴェナール自身は至って普通に見える。体つきは太っても痩せてもおらず、穏やかで均整の取れた顔立ち、少し疲労の色が見えるが、帝国のどの州議事堂にもいるような、ちょっと変わったウッドエルフというところだ。しかし、彼が高座から降りてきて、スコッティは風変わりなところを見つけた。背丈が非常に低いのだ。
「私は、お前だけと話しがしたい」シルヴェナールは、ありふれた、気取らない口調で切り出した。「書類を見せてくれないか」
スコッティはヴァネック建設委員会の契約書を手渡した。シルヴェナールはそれをじっと見ると、「帝国」という飾り文字の上に指を走らせてから、彼に返した。彼は何だか気恥ずかしくなって、床に顔を向けてしまう。「我が宮廷には」とシルヴェナールが言った。「この戦争で儲けようというペテン師どもで溢れ返っている。おおかた、お前や、お前の同僚もそうであろう。しかし、この契約書は本物のようだな」
「もちろんです」スコッティは冷静に応えた。彼のあまり格式ばっていない、へつらう様子もない口調は、シルヴェナールに好印象を与えたようだ。これは、ジュラスに教えられた通りである。「再建が必要な道路の話、アルトマーに壊された港の修復のお話をいたしましょう。それから、経済網の再整備に必要な費用の見積もりをお出しします」
「ところで、どうして2年前にエルスウェーアとの戦争が始まったときに、皇帝は使節を派遣してくれなかったと思う?」と、シルヴェナールがゆううつそうに尋ねた。
スコッティは、返答する前に、このヴァレンウッドで会ったボズマー達との会話を思い出してみた。彼を国境からここまで護衛してくれた、金に汚くおどおどしていた兵士達。ファラインスティのウェスタンクロスにいた、大酒飲みたちや、害虫駆除(彼も駆除されそうになった)の射手達。ハヴェル・スランプの詮索好きなパスコス母さん。哀れむべき元海賊のバルフィックス船長。悲哀に満ちた、しかし希望を捨てていないアセイヤーやグレノスの避難民達。乱心と殺意に満ち、自身をも滅ぼす勢いのヴィンディジの荒野の狩人。マロンに雇われた、物静かで気難しい船員達。ちょっと風変わりなバス。もしも1つの生物が、それが住む地域の全ての生物の気質を代表するというならば、その生物の個性はどのようなものだろうか? スコッティは仕事上でも気質上でも事務員である。だから、目録や書類を作ったり、何かをシステムに組み込んだりすることには本能的に安らぎを覚える。もしもヴァレンウッドの人々の気質の欄に何か書き込まねばならないなら、いったい何がふさわしいだろうか。
ほとんど考えるまでもなく答えは出て来た。「否定」だ。
「私はその質問に興味がありません。すぐに商談に移って構いませんか?」と、スコッティは言った。
その昼の間中、2人はヴァレンウッドの再建計画について議論を交わした。全ての契約書に、記入と署名がなされていった。費用がどんどんと加算される一方で、余白にも追加条項が走り書きされていき、それにも署名が重ねられる。こうして素早く交渉はまとめられていったが、その内容は決して考え無しのものではないことに、スコッティも気付いていた。実際のところ、「民衆の声」の計画はかなり効率的なものであり、これに従えば、日常生活も上手く回っていくだろう。つまり、漁獲や経済利益や航路や森林の状態などが、事細かに考えられたものだったのだ。
「この契約の成功を祝して、明日の夜、祝宴を開こう」と、シルヴェナールが最後に言った。
「今夜はどうですか」と、スコッティは答えた。「この契約書を持って、明日シロディールに発たなきゃならないんです。なので、そこまでの路を確保して頂きたい。時間を無駄にしたくないんです」
「よかろう」と言って、シロディールは呼び寄せた経済相に封をした契約書を渡し、祝宴の準備に向かって行った。
スコッティが謁見室を出ると、ジュラスとバスに迎えられた。彼ら2人は、長い間気を揉んでいたせいか、すっかり顔が引きつってしまっている。衛兵達の姿が見えなくなると、すぐに彼に首尾を尋ねてきた。スコッティはすべて説明した。契約書を見せると、バスは歓喜のあまり涙を流した。
「シルヴェナールを見て、何か驚いたかい?」と、ジュラスが尋ねた。
「背が低かったね。私の半分しか無かった」
「そうなのか?」と言って、ジュラスは少し驚いたようだった。「大方、俺達があんまりにも謁見しようと必死なもんだから、縮んじまったんだろうね。もしくは、民衆の苦境に心を痛めて、かな?」