トールス・イル=アンセルマ 著
アルテウム島はサマーセット群島の中で三番目に大きな島であり、モリデュノンのポタンサ村の南方、そして本土のルンシバエ村の西方に位置している。この島はタムリエル最古の修道会と言われているサイジック会の本拠地として名を知られている。
サイジック会に言及した最古の記録は第一紀の20年目のものであり、有名なブレトン人の賢人にして作家、ヴァーネットがサイジックの司祭長であったヤキーシスに会いにアルテウム島まで旅をする様子が記されている。
サイジックたちは当時から既に、諸国王の相談役を務めたり、タムリエルで最初に栄えた一族から伝授されたという「古き法」を提唱していた。この古き法とは自然の力を個人の意思に結びつけるための瞑想と研究に関する学問であり、その根源はマジカとは異なるものの、得られる結果は大方似ている。
とは言うものの、アルテウム島が第二紀の初頭、ちょうどタムリエルで魔術師ギルドが創設されたあたりの時期にサマーセット群島から忽然と消え失せてしまったのは、単なる偶然ではないのかもしれない。様々な歴史家や学者がこの件に関する学説を発表しているが、真相を知っているのはヤキーシスとその一族だけではないだろうか。
500年の月日を経て、アルテウム島は再び姿を現した。その時点で島内に住んでいる人々は大半がエルフであり、第二紀に行方をくらまし、死んだものと思われていた面々であった。彼らはアルテウム島が長年の間どこにいっていたのか、および、ヤキーシスと当初のアルテウム議会がどうなったのかについては答えを知らないか、説明を拒んでいる様子であった。
現在のサイジックたちの指導者は、ここ250年間アルテウム議会の長を務めてきた教義長のセララスである。タムリエルの施政に対する同議会の影響力には波が見られる。サマーセット群島の諸国王、特に、モリデュノンの王たちはしばしばサイジックたちに助言を求めている。皇帝ユリエル五世はその御世の初頭の頃、すなわち悲惨な結果に終わったアカヴィルへの侵攻以前の最も栄えある時代にアルテウム議会の影響を強く受けていた。ピアンドニアのオルグム王の船団を全滅させたのも、アンティオカス帝とサイジック会による共闘の結果だったとする説もある。ここ四代の皇帝、すなわちユリエル六世、モリハーサ、ペラギウスおよびユリエル七世はサイジックたちを信用せず、アルテウム島からの特使に帝都内への立ち入りを禁じている。
アルテウム島は地理的な図示が困難で、無作為に、もしくは議会の決定に従って、常に位置を変え続けているとさえ言われている。島への訪問者は非常に珍しく、ほぼ皆無に等しい。どうしてもサイジックに会いたいと願う者はポタンサ、ルンシバエの両村、もしくはサマーセット群島の諸王国にいる窓口役を当たるのが一手である。
敷居さえもっと低ければ、アルテウム島は旅行者にとって人気の目的地となるはずである。私は一度だけ同島を訪れたことがあるが、その牧歌的な果樹園や美しい牧草地、静かで穏やかな礁湖の数々、霧がかった森林地帯、そして周囲の環境に劣らぬくらい自然のものに見え、またそれ自体も素晴らしき美しさを誇るサイジックの建築様式などを、今でも時々夢に見るのである。とりわけセポラの塔は研究対象として興味深く、ハイエルフたちよりも何百年か以前に存在した文明の遺産であり、今でもサイジックたちの特定の儀式に用いられている。いつの日か再び訪れる機会があればと思う。
[注: 筆者は現在、アルテウム議会のサルジェニアス殿の御厚意により、アルテウム島に滞在している。]